プロフィール

当サイトにお越しいただきまして、ありがとうございます。当サイト運営者の明月谷と申します。

自己紹介

  • 雅号:明月谷(めいげつたに)
  • 仕事:特許技術者
  • 趣味:剣道(二段)、居合道(三段)、投資、Vespa
  • 興味・関心:神社仏閣巡り、脳科学・心理学、言語学

趣味について

剣道について

後述しますが、子供の頃に剣道を始め、高校では剣道部に入りました。でも、2年生の途中で退部しました。人間関係が嫌になりまして。でも、剣道自体は好きで、辞めた後も年に一度開催される全日本剣道選手権には毎年夢中になりました。

高校卒業後は、まだ学生でお金がないので、剣道を再開するという発想はありませんでした。社会人になっても、転職に伴って何度か引っ越しを繰り返したり、超多忙な時期があったりして、再開するのは困難でした。

現在の職場に転職したことにより、少し時間に余裕が生まれました。また、他のきっかけがいくつか重なったこともあり、剣道を再開しました。そして、剣道二段を取得しました。

居合道について

社会人になって収入を得るようになったので、剣道を再開したいと考えるようになりました。防具を揃えるのは学生には大きな出費ですから、学生時代には剣道を再開するという発想はありませんでした。

周辺の剣道場をネットで検索してみると、居合道もできる道場が目に留まりました。何となく、これも有りかなと思いました。それに、十数年ぶりにいきなり剣道を再開するのは少し不安です。それなら、まずは手軽そうな居合というものを始めてみて、剣道は様子を見ながら考えたらどうかと思い、居合のみを始めました。企業勤務時代に二段まで取りました。

投資について

本業以外にも収入を得る手段があればと考え、その一環として投資を始めました。2023年8月に証券口座を開設しました。

加筆修正中

Vespaについて

2019年頃、ひょんなことからVespaを購入しようと思い立ち、思い立ってすぐ購入しました。

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興味・関心

神社仏閣巡り

本当は趣味と言いたいところなのですが、多忙のためか近所以外でなかなか神社仏閣巡りができません。土曜は剣道、日曜は居合の稽古日ですし。

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脳科学・心理学

執筆中

言語学

執筆中

経歴

出生

影が薄いことで著名な県の片田舎で生まれました。誕生日を訊かれて答えると、「いい季節ですね」と言われます。出身地を訊かれて答えると、「遊園地があるところですね」と言われます。もうとっくになくなりましたけど。

幼稚園に入園するまでの記憶は2つか3つくらいしかありません。そのうちの1つは、近所で蛍が大量発生したことがあり、祖父に連れられて観に行ったときの光景の記憶です。大人になってからの知識で喩えるなら、深海に潜って、発光する海洋生物に囲まれているような光景でした。記憶の変遷もあると思いますが、それが一番古い記憶だと思います。

幼稚園時代

あまり幼稚園時代の記憶はありませんが、2年通いました。確か、1年目はすみれぐみで、担任はひろこ先生。2年目はたんぽぽぐみで、担任はさちよ先生。お寺の幼稚園でしたが、ここでクリスマスの歌を覚えた記憶があります。

「入園」とか「卒園」といった概念がわからず、指示に従って通い始めて指示に従って通うのを止めたという感覚ですかね。

幼稚園時代のいつ頃か忘れましたが、公文式の教室に通い始めました。通い始めて最初は、ノートに1,2,3・・・とひたすら数字を順番に書いていく宿題を課せられた記憶があります。桁が上がるたびにどう書けばよいのか悩んだ記憶があります。

昨年(2022年)、ふと気になって私が通った幼稚園をネットで検索したら、数年前に募集を停止していたことを知りました。

小学校時代

学区内の公立小学校です。当時は1学年2クラスの小学校でした。校名は〇〇南小学校といいました。

小学校時代の私は、体は小さく、勉強も運動もパッとせず。出生してからのことではありますが、極度に暗い子供でとにかく目立たないこと透明人間のごとしでした。

2年生のときに近所の剣道教室で剣道を始めました。稽古は週2回で、はっきり言って弱小です。でも、根性なしの私は稽古がきつくて4年生のときに辞めました。でも、剣道自体は好きのようです。

なぜここで剣道のことなどに敢えて触れるかというと、いずれは剣道関係の記事を執筆することなども考えているからです。

私が卒業した小学校も少子化で児童数は減り続け、数年前に廃校になりました。廃校後は、同時に廃校になったお隣の〇〇北小学校と南北統一する形で〇〇小学校が開校したようです。

中学校時代

〇〇南小学校と〇〇北小学校の学区を合わせると、〇〇中学校の学区に一致します。その〇〇中学校に入学しました。なので、転校生以外の生徒は「南」か「北」のいずれかの出身です。

私が入学したときは、男子は全員坊主が校則で義務付けられていました。でも1年生の夏頃から条件付きで坊主以外も認められるようになりました。校則というものには常に疑問というか違和感を覚えていましたが、先生の前では口にすることはありませんでした。怒られるので。

勉強の成績は上の下くらい。パッとしません。

小学校4年生のときに辞めた剣道でしたが、中学校ではなぜか剣道部に入って再開しました。1つ上の代が結構強くて県大会の上の大会に出場しましたが、私たちの代は対照的に弱小でした。試合で勝った記憶がありません。1級と初段にはどちらも一発で合格しましたが、奇跡です。引退まで続けました。

勉強も部活もパッとせず。あまりいい思い出はありません。

高校時代

普通科のみの公立高校に進学しました。田舎の小さな学区の2番手高校といった位置づけの学校です。学区で「2番」とはいえ、全国的には何もかも普通の高校生が集まるところです。

お受験は高校受験が初めてでした。「無理だからやめておきなさい」という周囲の反対を押し切って受験し、首の皮一枚で入学することができました。入学後に知ったのですが、私の学年は募集人数より2人多く合格させました。合格最低点が3人並んだのだそうです。中学生のときに先生や塾からは、「高校には募集人数だけの椅子しか置いてないぞー」とか「合格最低点が並んだら内申書を見て合格させる方を選ぶんだよ」と聞いていたので意外でした。このような寛大な配慮がなければ、私は合格できなかったかも知れません。というか、その可能性が極めて大です。中学生のときから最悪でもこの高校と考えていたので、不本意ではあるものの合格できて取り敢えず安心しました。

首の皮一枚で入学できた学校ですから、学業の成績は最悪です。入学して最初のテストは学年で下から2番目。でも、別に何とも思いませんでした。

部活は剣道部に入りましたが、2年の終わり頃に辞めました。人間関係が嫌になりまして。

2年生から理系クラスに進みました。私の高校には文系クラスと理系クラスがそれぞれ3クラスありました。そして、文系クラスと理系クラスに1クラスずつ、成績上位者を集めた習熟クラスがありました。共学の高校でしたが、理系の習熟クラスでない2クラスのうち一方は、男女比の関係で男子クラスでした。私は2年生から男子クラスでした。3年生になるときはクラス替えがありませんので男子クラス継続です。

高校でも、勉強も部活もパッとせず。あまりいい思い出はありません。

大学時代

大学進学に伴って大都会に出てきました。専攻は理学部の物理学科です。高校受験と同様、こちらも首の皮一枚で入学することができました。高校受験と違うのは、こちらは記念受験でした。なので、高校の先生、友人、家族、親戚一同ビックリでした。「なんでアイツが!?」みたいに。一番ビックリしたのは本人ですが。一流というわけではありませんが、私の高校からではトップでもなかなか合格できない学校です。

大学の同期のほとんどは、田舎者の私でも一度は耳にしたことのある有名進学校の卒業生です。T大学やT工業大学に落ちた人が流れてくる大学です。とはいえ、入学してしまえばみんな普通の大学生、スタートラインはみんな一緒という印象でした。

講義は最低限は出ましたが、それよりも下宿に籠って興味のある分野を独学で勉強していました。2年生で「九後」とか一般相対論に手を出したり。もちろん、そのときはさっぱり理解できませんでしたが。試験のための勉強はほとんどしませんでしたが、成績はなぜか上位だったみたいです。とはいえ、そんなものは何の役にも立っていません。

卒業研究は理論物理学の研究室を選びました。3年生まではあまり講義に出ず、講義に出ても終わったら1人で学食で夕食を取ってすぐに下宿に帰ってしまうので、学内では友人らしい友人はできませんでした。しかし4年生で研究室に配属され、初めて腹を割って話せる友人ができました。彼らと勉強したり、深夜まで議論をしたり、飲みに行ったり、旅行に行ったり、4年生になって初めて大学生らしい生活が始まりました。

大学生活でやはり私は大都会には向かないと再認識したので、卒業後は地方の大学院に進みたいと考えていました。そこで、適度に実家に近いけれど、一人暮らしを続けたいので実家からは通いづらいところに行きたいと考えていました。そんな都合のいい進学先は一つしかありません。

指導教官の先生に相談したところ、偶然ですがその唯一の大学院を勧めてくれました。もちろん、上記のような本当の理由なんて話していませんが、私とその大学院の先生との相性が良いのではという理由で勧めてくれました。

大学院時代

希望通りの大学院に進学しました。推薦入学でしたので、院試というものを経験せず、すぐに決まってしまいました。本当は学部から進学したかった大学でしたが、私の高校時代の成績ではかすりもしませんでした。

大学院の指導教官とは相性が良かったのか否かはわかりませんが、5年に亘り大変お世話になりました。

大学院では、所属研究室のメンバー以外にも学会等で全国の大学院生を含む研究者と出会います。大学院時代に出会った人達は(例外もいますが)優秀な人達ばかりです。彼(彼女)らは大きく2つのタイプに分かれました。「自分はこんな風にはなれないなあ」というタイプと、「自分はこんな風にはなりたくないなあ」というタイプです。彼(彼女)らを見ていると自分の将来に希望が持てなくなるものの、私はダラダラと博士課程に進学していました。

あれは博士課程の2年目が終わる2月頃でした。深夜の誰もいなくなった研究室で学会発表の準備をしていると突然、「そろそろ真剣に将来のことを考えなければいけないな」と思い立ちました。博士号を取ってもすぐに大学の教員等になれるとは限りませんし、それができる人は例外です。ほとんどの人は国内や国外の任期付きのポストを転々としながら正規雇用の職を得るまで食いつなぎます。私はそんなに苦労してまで続けたいことではないなと気付き、どこかの会社に就職しようと思い立ちました。

思い立って5分後、ネットで「就職活動」と検索すると、世の中には「リクナビネクスト」というサービスがあることを知りました。すぐにリクナビネクストに登録し、専用サイトで「博士」と入力して会社を検索すると、出てくるのは日本を代表する大企業ばかり。私がそんな大企業に入れるわけがありませんので、応募するだけ時間の無駄です。そんな中、聞きなれない社名が目に留まりました。取り敢えず受けてみようとエントリーしたら選考がどんどん進んですぐに内定を頂いたのでここに入社することにしました。

博士号は正直なところどうでもよかったのですが、運よく取得できて学生生活から足を洗いました。

企業勤務時代

新卒で入社した会社では、研究開発の部署に配属されました。研究開発は自分の好きなことに近い仕事でした。

入社して数年しか経っていない頃ですが、今後のキャリアについてふと考えさせられる機会がありました。会社を解雇されたり、会社が倒産したりといったもしもの場合を考えると、研究開発職を続けるよりも、社内の知的財産部に異動して知財関係のスキルを身に着けたり、弁理士の資格を取得したりするのが得策ではないかと考えました。ということで、何度か部署異動を訴えました。しかし、認められる気配すらありません。そんな中、本業の外ではいくつかの特許事務所の求人に応募していたところ、知財未経験の私でも採用すると言ってくれた事務所がありました。あまり深く考えず、ここに移ることにしました。

事務所勤務

初めての特許事務所への転職は、完全に選択ミスでした。詳細は書きませんがひたすら後悔し続けました。でも、2年弱でなんとか脱出して次の事務所への転職に成功し、その後もいくつか転々として現在の事務所が一番長くなりました。

初めての特許事務所に転職したのと同時に、弁理士試験の勉強を始めました。でも、数か月で頓挫しました。いろいろありまして・・。

また、現在の事務所に転職したことにより、気持ちを切り替えて弁理士試験の勉強を再開しました。ほぼゼロからのスタートでしたが、1年勉強して短答試験は合格しました。でも、これで燃え尽きてしまい、論文は惨敗。まあ、あと2回は短答免除だから来年でいいか・・などと考えていたら見逃し三振。毎年3月くらいになると、「まあ、来年でもいいかな」などと考えて再び頓挫というのが続いています。今年(2024年)こそは久しぶりに打席(2打席目)に立つ予定です。合格すれば少しは給料が上がりますし。

現在

初めての特許事務所に転職したのと同時に、引っ越しをしました。こちらもあまり深く考えずに決めた引っ越し先ですが、この街が気に入り、今ではここから離れたくないと思っています。あまり深く考えずに特許業界に入ってしまったことは失敗だったかも知れません。本当にやりたい仕事とは言えませんが、これは初めからわかっていたことです。しかし、あの失敗があったからこそ、好きなところに住んで、好きな飲み屋に入り浸って、好きな仲間や先生の下で剣道と居合を継続できています(←今ここ)。

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