「時間の言語学 - メタファーから読みとく」(瀬戸健一著)を読んだ。すごく興味深い。心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけてみた。
タイトルにもある「時間」とは、「time」の訳語として明治時代に考案されたものである。先ず第一章で、「時間」の広辞苑の定義の変遷が紹介されている。「時間」の定義は、昭和10年に発行された広辞苑の前身である「辞苑」から、版を重ねる度に変更が加えられていった。
最新の広辞苑第七版の定義は、、、
じ‐かん【時間】
(timeの訳語。〈哲学字彙初版〉)
①時の流れの2点間(の長さ)。時の長さ。「―がある」「この仕事は―がかかる」「勤務―」「―割」
②俗に、時刻2と同義。「帰りの―が遅い」
(以下省略)
広辞苑第七版
ここで、①の語義では「流れ」という表現を用いている。「流れ」とは本来、物質である流体の動きを表現するものであって、物質でない時間が実際に「流れる」という動きをするわけではない。つまり、流体の比喩(メタファー)を用いて「時間」の定義がされている。
「時間が流れる」とは日常会話でも我々は普通に使っている。しかし、辞書の編集では客観性を重視するだろうし、比喩を用いた定義は避けたいはずだ。①の「時間の長さ」も同様だろう。しかし、「時間」ほど抽象的な概念となるとこれが難しい。編者もだいぶ苦労した様子が紹介されている。
確かに私も最近、「時間」という概念がよくわからなくなってきた。具体的には、「時間」と「空間」とは本質的に何が違うのか、よくわからなくなった。
特殊相対論では、時間と空間はまとめて「4次元時空」として扱われる。時間と空間は混ざり合うのだ(9次元時空として扱う理論もあるらしいが)。
空間は前後左右上下に移動できるが、時間は過去には流れない不可逆性がある点で違う。確かにそうかもしれない。
しかし、何でもいいが動く物を撮影して、それを巻き戻して見える現象は、方程式の1つの解として存在する。そもそも、「空間は前後左右上下に『移動』できる」の「移動」といっている時点で時間の概念を用いている。
人間は、4次元時空を「実在する」と考えている(と思う)。
一方、4次元時空と表裏一体の関係として、「波数空間」という概念がある。こちらは、運動量3次元とエネルギー1次元の4次元だ。
「波数空間は実在するのだろうか」との疑問が浮かんだ。それとも、やはりあれは人間が定義した仮想空間に過ぎないのだろうか。
実在しないなら、実在しないことを論理的に証明できるのだろうか。無いものを無いと証明することは原理的に不可能だ。そもそも、「実在する」とはどういうことか。
波数空間は人間が勝手に定義したものというなら、4次元時空だって人間が勝手に定義したものではないのか。
物体の大きさを直感的に認識できるのは、人間には視覚や触覚があるからだ。令和6年2月11日が過去だと直感的に認識できるのは、人間には記憶があるからだ。波数空間を直感的に認識するのは難しいだろう。
4次元時空が「実在する」とは、人間の認知機能を前提にしてはいないか。人間以外の生物や無生物の立場に立つとすれば、4次元時空とは一体何だろう。4次元時空も仮想空間、つまり幻ではないのか。
つまり、空間も時間も幻なら、両者の本質的な違いは何だろうか。


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